ほぼ昭和の思い出(?)アメリカ横断ウルトラクイズ
「ニューヨークに行きたいかーっ!?」アメリカ横断ウルトラクイズと言えば、昭和52年から平成4年まで毎年10月に日本テレビで放送されていた視聴者参加型のクイズ番組ですよね♪
平成までやっていたので、この記事を「昭和は遠くなりにけり」のカテゴリに入れていいかどうか迷ったんですけど、小学時代の思い出として特に強く残っているので、ほぼ昭和の思い出ということにしました。
ウルトラクイズは日本各地から集まった挑戦者たちが「知力、体力、時の運」を合言葉にアメリカ大陸を横断しながら1,000問以上のクイズに挑戦し、最終的にニューヨークを目指すというものでした。
参加資格は「パスポートを持っている18歳以上(高校生不可)第11回までは45歳以下・第12回から第16回までは50歳以下の人、第17回では年齢上限なし」…小学生だったよっしーは、大学生になったらウルトラクイズに出てみたいなぁと思っていたんですけど、大学生になる前に番組は終わっちゃいました…
その後、大学在学中に『ネッツトヨタスペシャル 今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』としてスペシャル版が放送されたことがあったんですけど、その頃にはもう出る気はまったくなくなっていました…やれやれ。
確かウルトラクイズは、4週間連続の放送でしたよね。今思うと信じられない位お金がかかっていそうな番組ですよね。
第2週、第3週…と進むうちに友達と「ねぇウルトラクイズで誰を応援してる?」「私は〇〇さん!」なんて会話で盛り上がったのが懐かしいです。
ウルトラクイズにはどんなクイズがあった?
・〇×札上げクイズ…第一次予選(後楽園球場→東京ドーム)で最初に行われたクイズ。〇か×かに分かれて、ここで参加者の数がかなり絞られましたよね。
・機内400問ペーパークイズ…グァムへ向かう飛行機の中でペーパーテストが行われ、成績上位40名しか通過できない。タラップの最下段に「ブーブーゲート」なるモノがあり、踏んでも鳴らなければ通過、ブザーが鳴ってしまった場合は無情にもそのまま日本へ強制送還でした。
・突撃〇×泥んこクイズ…クイズの答えが〇か×か、正解だと思う方のパネルを破って飛び込み、正解ならマットの上、不正解なら泥のプールへダイブし失格。
・バラマキクイズ…広い場所でヘリコプターや飛行機、気球などからクイズが入った封筒がバラ撒かれ、それをひろってきて回答するんですが「ハズレ」の封筒もありました!
・早押しクイズ…決勝戦など。当てられてから5秒以内に回答できなかった場合は失格になりました。早く規定のポイントに届いた人から勝ち抜け。
他にも、アメリカの子どもが描いた似顔絵を見て母親が誰かを当てる「クイズ わたしがママよ」や、走りながらクイズに答える「マラソンクイズ」など本当にいろいろなクイズがありましたね。
アメリカ横断ウルトラクイズの優勝賞品は?
・第1回…ラスベガスの砂漠の土地約1226坪
・第2回…ニューヨークのホテル宿泊権
・第3回…年取った競走馬一頭
・第4回…一人用の小型飛行機
・第5回…テキサスの油田採掘権
・第6回…世界一周の旅
・第7回…ログハウス一軒
・第8回…クラシックカー
・第9回…一人用の小型潜水艦
・第10回…中古の気球
・第11回…カナダ近くの無人島
・第12回…バイオマリンスポーツセット
・第13回…死後の冷凍保存会員権
・第14回…ラスベガスのカジノオーナー権
・第15回…プライベート温泉(自分でシャベルで掘る)
・第16回…ブドウ畑
・第17回…ボートハウス(すぐに爆破)
だそうです。この中では第13回の「死後の冷凍保存会員権」と言うやつが強烈に印象に残っています…背筋も凍る夢賞品、と言っていたような!!
結構しょーもない賞品ばかり(?)ですけど、この番組らしいかもしれないですね。みなさんは欲しい物、ありますか!?冷凍保存はちょっと怖いかも…
歴代優勝者の方たちはどんな方たちだったの?
歴代ウルトラクイズの優勝者の方たち、覚えていますか?自分が応援していた方が優勝すると嬉しかったですよね~。
↑こちらに歴代優勝者の方たちのことがまとめられていました!男性が多いですが、女性の優勝者もいらっしゃったんですね♪
優勝者は立命館大学の方が多かったとか。立命館大学にはクイズ研というサークルがあり、かなり熱心に活動されているようですね。
優勝者の方で野勢さんとか瀬間さんとか、何となく覚えています。歴代優勝者の方々は、クイズだけではなくいろいろな分野で現在も活躍されている方が多いですよね。
優勝者の方々も印象に残っていますが、中盤以降に敗退した人は「罰ゲーム」がありましたよね。「〇〇さん 日本帰国(?)」みたいなテロップとともに。あれが妙にびびりました。BGMも…
まとめ:もうあんな大規模なクイズ番組は無理かも…
アメリカ横断ウルトラクイズの初期の頃は、まだ海外旅行へ行く日本人は今ほど多くありませんでした。
だから当時、アメリカは多くの日本の若者にとって遠いあこがれの世界だったんだと思います。よっしーも「わぁーアメリカに行ってみたいなぁー」と思いましたもん(現在でもアメリカへ行ったことはないままです…)。
でも、後半になると、アメリカに行くこと自体はそれほど珍しいことではなくなり、莫大な製作費がかかるにもかかわらずだんだん視聴率が低下していったそうです。
もう現在では、あんなに大規模でお金がかかるクイズ番組というのは実現不可能かもしれません…しかし、大人になった今でも「あれはすごくワクワクしたなぁ」と思い出に残っています。